「光速度不変」を原理とする相対性理論が1905年に発表されて以来、光速度cの不変性は実験的にも検証され、国際単位系で「真空中の光速度は299 792 458 m/sである」と定義されるに及び、真空中の光速度は測定されるものではなく、これ自身が長さの基準となりました。ある地点で光が発射された時刻と別の地点に到着した時刻の差、すなわち時間Δtを測定すれば2地点間の距離LはcΔtとして正確に求められることになり、距離を正確に測ることと時間を正確に測ることは同義になりました。
カーナビにも用いられるGPS(全地球測位システム)では、地球を周回する、3次元座標が正確に計算された24機以上の人工衛星に、お互いに時刻が同期された原子時計が搭載されています。GPS衛星から電波(電波も光の一種です)が発射された時刻と、自動車に電波が到着した時刻の差から、衛星と自動車の距離が分かります。4つ以上の衛星を用いれば、各衛星の位置を中心としたそれぞれの距離を半径とする球面の交点として自動車の位置が決定されます。
このような測位衛星を利用したカーナビでは10メートル程度の精度で位置が決まり、最近では、自動運転への適用準備も進められています。GPS搭載の原子時計を基準として時刻の同期を取ることも出来、そのような正確なタイミングは、携帯電話の基地局、データセンター、高速な金融取引、道路インフラや建物の振動解析などでもすでに利用され始めています。
地球の周りの空間は実際には真空ではなく大気があり、また、上空の電離層、地上物体による電波の反射、太陽活動による擾乱、各種の雑音などの影響で光の伝搬時間が変動するため、測位誤差が発生します。また、測位衛星は、Selective Availability (SA)という意図的な精度劣化操作を行うこともあります。これらは測位誤差が一瞬でも増大すれば大事故につながる自動運転にとっては致命的です。このため、GPSなどの宇宙からの電波に頼らない、あるいはGPSからの電波が途切れても一定時間、自立的に時刻を維持でき、外乱の影響を受けていることを自ら判断できるシステムが必要です。また、正確な時刻は、GPSからの電波が届かない、あるいは届きづらい、ビルの谷間、トンネルの中、橋桁の下、海底探査、海底地震計測などでも求められています。
上記の問題を解決するため、我々は、本研究開発において、GPS衛星に搭載されているものと同等の性能を持つ原子時計を、車載可能な程度にまで小型低消費電力化し、車載環境の振動、磁場、温度条件でもその性能を維持し、さらに、長期間にわたって安定かつ連続的に動作するための基礎研究を進めます。このため、ガスを透過させずアルカリ原子とも反応しない究極の蒸気セル、スペクトル変化の小さい信頼性のあるレーザー、小型化ためのMEMSの手法を用いた回折格子、光シャッター、外部共振器型半導体レーザー、また、ミリケルビン台の極限的な温度安定度を実現するための要素技術の研究も行います。
本研究により開発される原子時計及びその要素技術は、将来のより高精度な冷却原子時計や光原子時計の小型化・実用化にも不可欠な基盤技術になると期待されます。
小型低消費電力で高精度な原子時計が低価格で普及すれば、原子時計は爆発的に普及し、自動車にとどまらず、パソコン、携帯電話、腕時計など、身近なあらゆるところに搭載されることになるでしょう。これにより、①身の回りの至る所に原子時計があり、相互に同期され、常に測位が行われている状態、②中央のマスター時計だけに依存しない、原子時計のインターネット、③自動運転や高速商取引を含む安心安全確保のために、このような原子時計のWorld Wide Webを実現するのが私たちの最終的な目標であり、夢でもあります。この夢に向かって邁進していく所存でございます。
どうぞよろしくお願い致します。
(2020年3月 マイクロマシンセンター HS-ULPAC研究センター長 池上健)
|